「この会社で成長できると思ったのに」。退職面談で聞いた一言
中小企業の早期離職の多くは、待遇への不満ではなく、入社前に抱いた「期待」と現実のギャップによって起きています。そしてそのギャップの正体は、会社のビジョンが言語化されていないことにあります。
入社してまだ半年。期待して迎えた新人が、退職届を持ってきた。
「この会社で成長できると思ったんです。でも、何を目指している会社なのか、最後まで分かりませんでした」
面談が終わった後、誰もいなくなった会議室で、しばらく動けなかった経営者がいます。「給与が安いのか」「上司と合わなかったのか」。原因を探るほど、答えが見つからない。「自分の伝え方が悪かったのか」。その思いだけが、胸の底に沈んでいく。
正直、この光景を私たちは何度も見てきました。規模も業種も関係ありません。丁寧に採用して、教育体制も整えて、それでも辞める。経営者としてこれほど堪えることはないと思います。
けれど、これは「あなたの会社がダメだった」という話ではありません。同じ悩みを抱えている経営者は、驚くほど多いのです。ただ、みんな表には出しません。「うちの採用、うまくいっていない」とは言いづらいから。
辞める本当の理由は「給与」でも「人間関係」でもない
中小企業で早期離職が起きる根本原因は、入社前に形成された期待と入社後の現実のギャップにあります。そしてそのギャップは、会社のビジョンや価値観が言語化されていないことから生まれる構造的な問題です。
退職理由のアンケートでは「人間関係」や「給与・待遇」が上位に来ます。しかし私たちが現場で見てきた実感は少し違います。
辞めていく人の多くが口にするのは、「思っていたのと違った」という言葉。給与が低いから辞めるのではなく、「この会社で何ができるのか、何を目指すのか」が見えなかったから辞めていくのです。
早期離職が生まれる構造
- 面接で社長が語った話と、入社後に見える景色が噛み合わない
- 先輩に聞いても、会社の方向性についてみんな違うことを言う
- 「この会社で自分は何者になれるのか」が分からないまま、日々の業務をこなす
- 半年もすれば、不安は確信に変わる。「ここにいても、自分の未来が見えない」
これは社員の忍耐が足りないわけではありません。会社のビジョン、つまり「自分たちは何のためにこの仕事をしているのか」「どこに向かっているのか」が言葉になっていないから、採用の段階で曖昧な期待を持たせてしまう。採用ミスマッチを防ぐための「言葉の軸」が、そもそも存在していないのです。
採用ページに「アットホームな職場です」と書いていた頃の話
採用ページに並ぶ「アットホーム」「風通しの良い」「やりがいのある」といった言葉は、どの会社にも当てはまるがゆえに、誰にも届きません。企業ビジョンの言語化なしに、採用で自社を語ることはできないのです。
これは私たち自身の話でもあります。
昔、ある会社の採用ページをつくる仕事をしたとき、社長に「うちの魅力は?」と伺ったら、出てきた言葉が「アットホームな職場」と「社員を大切にする会社」でした。正直に言うと、私たちはそのままページに載せてしまったのです。
今思えば、あれは失敗でした。その言葉を見て応募してくる人は、「具体的に何がアットホームなのか」を自分の理想で補完してしまいます。ある人は飲み会が多い会社を想像し、ある人は残業がない会社を期待する。入社してみたら、どちらでもなかった。
届かない言葉
「風通しの良い職場です」も「やりがいのある仕事です」も同じ。どこの会社にも書いてある言葉は、結局どこの会社のことも言い表していない。
周りの中小企業の経営者に伺ってみると、採用ページの文言に本気で向き合ったことがある方はほとんどいませんでした。とりあえず求人媒体のテンプレートを埋めて、写真を載せて、それで終わり。応募が来たら面接で伝えればいい、と。
けれど実際には、面接の30分で会社のすべてを伝えるのは無理があります。そして面接で伝えたつもりの言葉も、聞く側はそれぞれの文脈で受け取る。ビジョンが言語化されていなければ、面接官によっても語る内容がブレる。結果として、入社後のギャップが構造的に生まれ続けるのです。
「なぜこの仕事をしているのか」に答えられるか
経営理念やビジョンが明文化されている会社は、採用の段階で「合う人・合わない人」を自然に選別できます。一方で、経営者自身が自社のビジョンを言葉にできていない場合、その選別は不可能になります。
一つ、試してみてほしいことがあります。
「あなたは、なぜこの仕事をしているんですか?」
この問いに、30秒で答えられるでしょうか。売上を上げるため、生活のため、ではなく。なぜこの業種で、なぜこの地域で、なぜこの形でやっているのか。
答えに詰まったとしても、心配しなくて大丈夫です。これに即答できる経営者の方が少ないのです。
ビジョンが明文化されている会社は強い。「うちはこういう会社で、こういう未来を目指している」と語れるから、面接の段階で求職者が自分に合うかどうかを判断できる。入社してから「思っていたのと違った」が起きにくい。社員の定着率が改善するのは、待遇を上げたからではなく、最初から期待値が揃っているからです。
一方、経営者自身がビジョンを言葉にできていない場合、これは難しい。自分の中には確かにあるのです。20年、30年と積み上げてきた想いや信念は、間違いなく存在する。けれど、それが言葉になっていない。
当たり前すぎて見えない。毎日やっていることの何が特別なのか、自分では気づけない。これは能力の問題ではなく、構造の問題です。水の中の魚が水を意識しないのと同じで、自分の中にある価値観は、自分からは一番見えにくいものなのです。
ビジョンを言語化した会社の採用に起きた変化
企業ビジョンを言語化した中小企業では、採用のミスマッチが減り、定着率が上がり、結果的に採用コストが下がるという変化が起きています。
私たちが関わった会社のいくつかで、ビジョンの言語化に取り組んだ後に起きた変化を簡単に共有させてください。
応募の質が変わった
ある製造業の会社では、採用ページを「アットホームな職場」から、自社の存在意義を語る内容に書き換えました。応募数は減りました。しかし、面接での「この会社に入りたい理由」の質が明らかに変わったのです。入社後1年以内の離職がゼロになりました。
語る内容が一致した
別の会社では、社長が面接で語る内容と、現場の先輩が新人に伝える内容が一致するようになりました。新人が「何のためにこの仕事をしているのか」を入社初日から理解できる。迷いが減り、成長のスピードが上がりました。
入口から定着までが整った
採用活動自体を大きく変えたわけではありません。ビジョンを一つの言葉にしただけで、採用の入口から定着までの流れが自然と整っていったのです。
共通しているのは、特別なことを始めたわけではないということ。会社の中にすでにあったものを、言葉にしただけ。それだけで、人と会社の関係が変わっていきました。
まとめ — 採用を変えたいなら、まず経営者の「想い」を話してみる
早期離職を防ぎ、社員の定着率を改善するために最初にやるべきことは、制度の見直しでも待遇の改善でもなく、経営者の想いを言語化することです。
ここまで読んでくださった方の中には、「うちも同じだ」と感じた方がいらっしゃると思います。
採用を変えたい。離職を止めたい。けれど、何から手をつければいいか分からない。
私たちからの提案はシンプルで、まず「話す」ことから始めてほしい、ということです。
自分がなぜこの仕事をしているのか。どんな会社にしたいのか。まとまっていなくていい。整理されていなくていい。声に出して語っているうちに、自分でも忘れていた原点が浮かび上がってくることがあります。その言葉が、採用ページに載る一言になり、面接で語る軸になり、入社した社員が「この会社で頑張ろう」と思える理由になっていくのです。