自社の強みを語るほど、お客様の記憶から遠ざかる。そんな経験はないでしょうか。
会社案内には実績と機能が並び、営業資料は会社概要から始まる。どれも正確です。それでも商談の翌週には、「どこの会社だったか」が曖昧になっている。
アメリカのオフィス用品大手Staplesは、この壁を意外な方法で越えようとしています。自分たちの象徴を、わざと裏返したのです。
REPORTED CONTEXT
何が起きたのか
Staplesには、20年以上にわたって親しまれてきたアイコンがあります。押すと「That was easy(簡単だった)」と鳴る、赤い「Easy Button」です。面倒な業務を一発で片づける、という約束の象徴でした。
そのStaplesが、Easy Buttonの“ダークな分身”として「Hard Button」を登場させました。米メディアMarketing Diveによれば、法人顧客の獲得を強化する事業方針のもと、認知から購入まで一貫して設計されたキャンペーンです。
Hard Buttonが表すのは、職場で実際に起きる「うまくいかないこと」。記事で例に挙げられているのは、店舗サインの誤印刷でした。小さなミスに見えて、担当者にとっては胃が痛くなる出来事です。
今回参照したMarketing Diveの記事とStaplesの公式発表には、キャンペーンの予算・リーチ・成果の実測値は記載されていません。ここでは表現の仕組みを読み解き、効果が実証されたという主張とは区別します。
EDITORIAL PERSPECTIVE
編集部はこう読む——光を見せるために、影を描く
ポイントは、Hard ButtonがEasy Buttonを否定していないことです。
「簡単」の価値は、「難しい」を知っている人にしか伝わりません。Hard Buttonが困りごとを描くほど、Easy Buttonが解決しているものの輪郭がくっきりする。影を描くことで光を強める設計です。
法人向けの発信は、どうしても強みを正面から語りがちです。機能、実績、コスト削減率。どれも正しい。けれど、正しいだけでは記憶に残りません。
お客様の記憶に残るのは、「そうそう、あれで困ったんだ」という瞬間です。
Staplesはその瞬間をつくるために、自社が解決できる問題そのものを主役にしました。発想は単純です。ただ、自分の広告で「うまくいかない場面」を描くには覚悟が要ります。

EDITORIAL PERSPECTIVE
日本の中小企業が使うなら
そのまま真似するのはおすすめしません。理由は二つあります。
一つは、困りごとを笑いにすると「お客様を揶揄している」と受け取られやすいこと。もう一つは、決裁が担当者・部長・役員と何層にもまたがること。担当者が面白がっても、上の階で「ふざけている」と判断されれば商談は止まります。
ただし、これはやらない理由ではありません。温度を調整すればいい、というだけの話です。
日本で活かすべきは「笑い」ではなく「解像度」です。お客様が毎日経験しているのに、まだ言葉になっていない困りごと。それを具体的に描くと、「これ、うちの話だ」という反応が生まれます。
中小企業でもすぐ試せる形を三つ挙げます。
一つ目は、営業資料の1枚目を「困りごと」にすること。会社概要から始めるのをやめ、「こんな状況、ありませんか」というスライドを冒頭に置きます。相手がうなずいた瞬間から、その後の説明の聞かれ方が変わります。
二つ目は、「つまずき事例集」をつくること。これまで解決してきたお客様の困りごとを、許可を得たうえで事例としてまとめます。キャラクターは要りません。状況を具体的に書くだけで十分に伝わります。
三つ目は、短い「現場あるある」動画。展示会のブースやSNSで流せます。狙うのは笑いではなく共感の精度です。誇張は控えめに、場面の具体性を上げてください。

EDITORIAL PERSPECTIVE
地味な商材が必要になる場面を描く
編集部は、機能だけでは価値を伝えにくい商材にも、この考え方を応用できると考えています。
消耗品、設備、業務システム。どれも機能で差をつけにくく、価格競争に巻き込まれやすい商材です。そこで「商材を語る」のをやめて、「それがなかったら何が起きるか」を語る。すると、急に話が生々しくなります。
設備が止まった翌朝、代わりの手配に追われる総務担当者。決算期に間に合わなかった導入。そうした困りごとの一場面が、自社の存在意義を語り直す入口になります。

EDITORIAL PERSPECTIVE
デザインの視点から——裏返しても、別物にしない
デザインの観点で見ると、ここが一番難しいところです。
Marketing Diveの掲載画像と本文では、赤いEasy Buttonと黒いHard Buttonが確認できます。編集部が注目するのは、物理ボタンという共通する形を保ちながら、色と名前で対比をつくる点です。既存のブランドとのつながりが伝わるかを確かめながら設計する必要があります。
そして、この手法には前提があります。裏返せるほど強いシンボルや言葉が、すでにあることです。
自社に「これが私たちだ」と言える一言や形がない会社は、まずそれをつくるところから始まります。
EDITORIAL PERSPECTIVE
AIで量産する前に、確かめてほしいこと
いまは課題提起のコピーも、あるある動画の台本も、AIを使えば数分で何十案もつくれます。便利ですし、アイムホッピングでも日常的に使っています。
それでも、ここだけはAIで完結させないでください。
自社のEasy Buttonは何か。お客様は何に困っていて、私たちは何を約束するのか。この核を決める作業です。AIは、すでに言葉になっている平均値を返すのが得意です。けれど、あなたの会社だけの困りごとと約束は、まだどこにも言葉になっていません。だから、人と対話しながら掘り起こす必要があります。
核が決まっていれば、AIは強力な道具になります。核がないまま量産すれば、どこかで見たような「困りごと広告」が増えるだけです。
EDITORIAL PERSPECTIVE
まず一つ、試してほしいこと
自社が解決している問題を、「解決できていない状態」で一文に書いてみてください。
お客様の机の上で、どんな場面が起きているか。その一文が書けたら、それがあなたの会社のHard Buttonの種です。書けなかったなら、そこが言語化から始めるべき場所です。
Source & editorial notes
参考記事:Marketing Dive ↗Staples 公式発表(Business Wire)↗報道された事例をもとに、アイムホッピングが編集・解釈しています。日本向けの活用例は編集部の提案で、施策の効果を実証するものではありません。
図解・挿絵は記事の考え方や架空の場面を表現したもので、各社の公式広告素材ではありません。
